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テア・ドーンがドイツの魂は分裂した二重性にあると語る


ドイツの魂 Abendbrot und Zerrissenheit – Über die “deutsche Seele”

DW : ドイツの魂とは何か、このテーマについては過去100年以上に渡り議論されてきましたが、新しい本が出ましたのでご紹介しましょう。
テア・ドーン Tea Dorn は41歳の女流作家です。彼女の新作『ドイツの魂』は数ヶ月前の出版ですがベストセラーです。この本は旅行記の体裁を取ったドイツ文化案内です。我々取材陣(DWはドイツの海外向け国営放送)を旅行記に案内したのは実に適切な場所からでした。自動車の車内です。

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テア・ドーンがドイツの魂は厳密さと規則性を求めつつ幻想や混沌でもあると語る

TD:ドイツ人にとって自動車は特別な愛着の対象です。この車は少し小さめなのですが高速道に速度制限が実施された今では丁度良いでしょう。
自動車内では他人に邪魔されずに、自分の思いのままの好き勝手なことができます。
実はこの他人に縛られずに好き勝手な事のできる自由こそドイツ人の憧れな訳です。ゲルマン人個々人の勝手放題な振る舞いを思い出して下さい。時間を守るとか、清潔とか、規律とか、勤勉さとか、こうしたものがドイツ的徳目だと思われています。でもこの典型的なドイツ風美徳とは18世紀北ドイツからプロイセンが勃興した時代に学校や軍隊や教会で上から叩き込まれた道徳教育の結果にすぎません。18世紀まで或いは30年戦争までドイツ人の標準といえば、「年がら年中酔っ払って、大声で歌を喚き散らす、陽気だけど頼りにならない頑固者」といったところでした。
今で言えば半ズボンに長靴下、チロリアンハットをかぶってビールジョッキを片手にビアハウスで肩を組んで歌なぞ歌う南ドイツ・バイエルン州出身者が昔のドイツ人の面影を留めています。
他方北ドイツ出身者の多いベルリンの街路では無愛想な物腰が多数派となります。
このように当初からドイツ人は人格が分裂しているのです

自分が他人からどう見られているのかが気になるのもドイツ人の特長です。ナチ時代の記憶はまだ完全に消えたわけではありません。例えば1980年代に私がノルウェーやフランスに旅行した時など、稀なことですが唾を吐きかけられたことも有りました。イタリアでフランス人扱いされた時や、ニューヨークでアメリカ人から道を尋ねられた本当に嬉しかった。でも米国滞在中に自分がドイツ人であることを否認しても無駄だと気付きました。そして自分がドイツ人であることを、かなりドイツ人であることを、受け入れました。あの手のコスモポリティスムは無意味でした。勿論ドイツからマイナスイメージが薄れて行くのには、「二度と繰り返さない」を標語にした学校での教育を始め、ドイツ国民の努力も必要でした。

クリスマスの近づいたある時、急にバッハのマタイ受難曲が聴きたくなりました。早速アマゾンにCDを注文して車でニューハンプシャー州の森まで出かけました。森の中を車で疾走しながらマタイ受難曲に浸りました。
バッハはバロック音楽の中で最もドイツを感じさせる作曲家です。音楽の中に呻きと悲鳴が聞こえます。と同時に厳格な対位法の作曲者として最も普遍的な作曲家でもあります。つまりバッハの中にはローカルなドイツ固有のものと普遍的な音楽と言うものが混ざり合っているのです。
明瞭で合理的な規則を外部世界に求めそれに従っていく合理主義人間と、言葉では言い表せない絶対的自由を求める人間、この二つが同一人格内に存在しているということです。ワーグナーの音楽がドイツでこれほど好まれているのもここに原因があるのかもしれません。厳密さと規則性を求めつつ幻想や混沌でもある。
この二重性の原因は何かといえば先に述べた18世紀プロイセンの国民教育がそれです。絶対的自由を求めるカオス人間に規律厳格なプロイセン精神が注ぎ込まれるとどうなるのか。
(終わり)

下記はドイツ語歌詞・日本語訳付きのマタイ受難曲の動画です。

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