Le crépuscule de la religion des Lumières – Le Zoom – Michel Geoffroy – TVL
自著 『光の宗教(啓蒙主義)のたそがれ』解説 インタビュー
著者紹介:ミシェル・ジェオフロワ
ENA卒業生、元高級官僚、著作多数。雑誌Polemia定期寄稿者
自由、平等、博愛、個人の尊厳、人権思想その他その他。西欧人が非西欧人に対して誇りに思うものの中核が個人の発見と人権重視の啓蒙主義(光明の哲学)の展開です。ところが今ではそれが肥大化したり、歪曲されたりして西欧文明の衰弱原因になっている、そう思う人は少なくありません。近代文明を産んだ西欧が自己反省を始めたのでしょうか。
ミシェル・ジェオフロワが自著『光の宗教(啓蒙主義)のたそがれ』についてインタビューに答える
Q:デカルトを冒頭に置いているのは何故でしょうか?
MG:啓蒙主義(光明の哲学)は17世紀後半から広まるわけですが、思想上の大物はたいていフランス人かスイス出身などのフランス文明人でした。デカルトを取り上げましょう。彼の書き記した「我思う故に我有り」の一文が個人を社会の基本単位に据え個人主義を思想上裏打ちしました。あらゆる存在を保障するのが個人なのですから、社会だって国家だってせんじ詰めれば個人の集合体なわけです。ルソーの発言があります。「我々は諸君が自由であることを強制する」
次の大物はモンテスキューです。彼の著作『ペルシャ人の手紙』は価値の相対化を推進しました。キリスト教も他と同じな一つの宗教に過ぎず、18世紀フランス文明はペルシャ文明人から見ると大いに変てこであったわけです。
三番目の個人主義論は科学の発達からもたらされました。社会は精巧な機械仕掛けの時計の様なものであり、人間はそれをついには解明できるという理性万能論です。これは人智によって社会を組み立てなおしたり改良することができるという共産主義思想の基礎となっています。しかし問題は彼ら個人合理主義者は約束はするものの実現したことが無いことです。このことはロシア革命が共産党独裁国家しか生み出さなかった事実で明らかです。
国家を自由にデザインできるというアイデアの実験場となったのがアメリカの独立戦争でした。個人の絶対化はついに英国の元首相マダム・サッチャーが「社会は存在しない。有るのは個人のみ」と発言するまでに至りました、
社会的権威者の相対化は王権を排除した後、カトリック教会がその標的になりました。聖書の科学的解釈を通じてキリスト教への批判的態度が社会常識となりました。批判と相対化の矛先は現在では家族制度や大学制度へも及びます。
Q:個人絶対主義に暴力への傾きがあるのは何故でしょう?
MG:啓蒙主義(光明の哲学)の生まれた18世紀は貴族政治の時代です。光明の哲学の先導者はヴォルテールをはじめとして平民階級出身ですから貴族への恨みの感情が根底にあります。貴族への復讐感が革命という形で直接的に発散できなかった時代には、モリエールの『町人貴族』のような文芸の形で発散するしかありませんでした。前代の支配階級への残虐な復讐劇についてはロシアも中国も同じでフランス革命のダントン流です。
戦闘的フェミニズムを取り上げると良く分かります。男女平等を通り越した女性優位の論調には男への復讐感がにじみ出ています。復讐者は啓蒙主義を基礎とする人権論に護られていますから何をしても非難されません。こうして男性=フェミズム、白人=人種主義及び反植民地主義、カトリック=反多文化主義といった具合に彼らは同盟を結んであらゆる局面で肥大した啓蒙主義論を用いて社会の乗っ取りを画策します。過去や過去から続く伝統はすべて悪いのです。
Q:啓蒙主義的人権論への対抗はどんな姿でしょう?
MG:伝統、アイデンティティへの回帰が対抗アイデアです。彼らが破壊しつつある価値の再評価が重要です。家族と国家をつなぐ様々な中間集団の復活、何よりも重要なのは議論を起こすことです。非難を恐れず反論する勇気を持つことです。
(終わり)
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