Passé Present #147 : Algérie, l’histoire à l’endroit avec Bernard Lugan
過去と現在 #147: ベルナール・リューガンとともにアルジェリア史の現場に立つ
この動画の後半が本稿の内容に相当します。前半はボードワン4世について。
なお、導入部分に日本陸軍の画像が出てきますが、この動画は「過去と現在」というシリーズの一巻なので、過去に日本の歴史が取り上げられたことに起因すると思われます。
Colonialisme est un péché de l’histoire de France. C’ést un crime. Coupable contre toute l’humanité.
植民地主義はフランス史の罪であり、犯罪行為です。人類全体に対して有罪です。
上記は動画の始めに流される2020年にアルジェリアを公式訪問した際のマクロンフランス大統領の発言です。フランス=アルジェリア関係はある部分日本=韓国の関係と似ているところがあります。アルジェリア人はフランス植民地主義と人種差別を非難し、一方フランス側は「アルジェリアが近代化できたのはフランスのお陰だろう」と反発しながら世論を恐れて口を閉ざし、その間フランスでのアルジェリア人犯罪は増加を続けている、といった具合です。
リューガン氏はアフリカ通のジャーナリストで大学教授、喧嘩っ早い性格らしく論戦相手を怒鳴りつけたり、自分がマイクを独占して相手に発言させないといった場面もしばしばです。奴隷制度についての対談では「奴隷制度は白人国家だけではなく世界中に存在した。最初に奴隷制を正式に廃止したのは白人国家だったのも事実だ」などと言い出すふてぶてしさも見せていました。恬として反省しない、あるいはその素振りを見せない、理論や事実の裏付けを持った猛々しさは欧州文化人によくあったようですが今では少数派になりました。何事も人権に配慮の時代で、訴えられたりしますから。
ベルナール・リューガン アルジェリア史について語る
仏・アルジェリア関係は1964年独立の出発点において、事実ではない3つの虚構に基づいています。
(1)ベルベル人 les berbers であることの否認
アルジェリア人は95%以上が遺伝的血統的にベルベル人(※)です。
(※:北アフリカ原住民で白人キリスト教徒だったと推測されている。ゲルマン民族大移動でアフリカに渡ったヴァンダル族の末裔という説もあった。カリビア山地に多く居住し、金髪碧眼の女性も珍しくない。)
1962年に既に独立していたモロッコ、チュニジアと並んで3国のアラブ性が強調されますが一番アラブ性の強いチュニジアでさえ血統的に4%ですからモロッコやアルジェリアなどベルベル人の海に数滴アラブの血が入っている程度です。
では何故ベルベル人であることが認められないのでしょうか。それを認めると多数派ベルベルを少数派アラブが支配していることとなり、多数派アラブを少数派フランス人が支配しているという独立派の主張が崩れてしまうからです。アルジェリア文部大臣はベルベル人など白人の考え出した創作物であり、これを主張するのはアルジェリア統一を妨げる陰謀だと言い切っています。
(2)アルジェリアのアイデンティティー
これもフランスが作り出したものです。フランスがアルジェリアを海外県としたのは19世紀半ばですが、それ以前アルジェリアはトルコのオスマン帝国の支配下にありました。 そこに土地はありましたし人間も住んでいましたが国はありませんでした。フランスが植民地にすることで 国というまとまりが生まれました。アルジェリアという名前もフランスがつけたものです。 西にモロッコ、東にチュニジアという昔からある古い王国が既に存在していました。その真ん中の、国になれなかった地域、人間はいたけど国が作れなかった地域にフランスが国家を創ったわけです。 ですからアルジェリアは建国の初めからフランスに依存していました。 自立して王国を作り上げていた西のモロッコ東のチュニジアに対してアルジェリア人のいだく劣等感の原因はここにあります。同じアラブの仲間と教えられているのにです。
(3) アルジェリア国民の一体感と統合
フランスからの独立を求める独立戦争の中で主に国民の一体感が生まれたと言う教科書の記事になっていますがこれも違います。 独立戦争を主導したとされるFNL国民解放戦線は実際は少数派でした。 チュニジアに15,000人、モロッコに13,000人の武装勢力がいましたがアルジェリア本国の中に武装勢力は5,000人しかいませんでした。しかも国民解放戦線の主な役割は戦闘ではなくフランス政府との交渉とテロ活動でした。
あるアルジェリア人歴史家は「歴史は地獄であり天国でも有る」と言っていますが、アルジェリアという国はもともと存在せずフランスが創り出した国家だったのです。事実に基づかないフィクションの歴史を教えられている現在のアルジェリア人が、執拗にフランスから謝罪と賠償を求め続けるのもこの病んだ精神性に原因があると言えます。
フランス進出以前の北アフリカ – マグレブ3国
イスラムが急激に広がったのは7Cでした。それまでマグレブには大小多数に分かれたキリスト教徒ベルベル人集団が暮らしていました。それを征服したのは人口の少ないアラブではなく東隣のリビアのこれもベルベル人でした。何故ベルベル人はかくも急速にイスラム教を受入れたのかは説明の難しいところですが、最大の原因は宗教間の争いだったと思います。マグレブにはあらゆるキリスト教異端宗派が揃っていて相争っていたのです。残酷な宗派間内輪もめ争いにウンザリいていたベルベル人にイスラムは新鮮で魅力的に見えたのでしょう。
イスラムに改宗すれば非イスラムに課せられた重い宗教税を逃れられたのも魅力でした。しかしこの税金問題が原因でイスラム化したベルベル人はやがてバグダットのカリフから離れていきます。預言者の血を引かないカリフに税を納める義務は無いという口実です。
十字軍戦役もやり過ごし、いわば安全地帯で暮らしていたベルベル人を次いで支配したのはオスマントルコでした。オスマン帝国の西の要所として港湾都市アルジェには総督が置かれましたが、領域支配という構想はなく、あくまでも海賊根拠地としての拠点確保が目的でした。
アルジェを根拠地にイスラム海賊が西地中海を荒らし回ったのが16世紀以降の歴史です。困りかねたフランスは海賊征伐を名目に北アフリカに海外県アルジェリアを設置します。
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