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エリック・ゼムール講演会 自著「フランスの宿命」 について


Louis Aliot Reçoit Eric Zemmour

ルイ・アリオ(Loui Aliot)はペルピニャン(Perpignan)の市長で国民連合(RN)所属。
彼がゼムールを招いた講演会の翻訳です。

ペリピニャンはフランスの最南部で中世にはマヨルカ王国の首都でした。スペインとフランスの間を行ったり来たりしましたが、1659年のピレネー条約によりフランス領となりました。文化的にはスペインのカタローニャと近く北カタローニャとも呼ばれます。その歴史的経緯もありゼムールを招待したと思われます。

エリック・ゼムール招待講演会『政治メディアの現在の中道潮流に反して – フランスの歴史』
ゼムールが自著『フランスの宿命 – déstin français』を要約してフランス史の特色を解説しています。

西尾幹二や百田尚樹が日本人の目線で見た日本史を書いていますが、民族派の目標は日本でもフランスでも同じなのだなと思っています。ただドイツではこれができない。「我がドイツ民族は…………」などとやろうものなら、「ドイツ人など存在しない」と言い張る国内進歩派、「ナチの反省を忘れたのか」と非難する外国マスコミにより口をふさがれてしまいます。

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エリック・ゼムール招待講演会

初めに
この本で私はフランスの歴史をフランス人の目から見たものとして描きたかったのです。そして歴史を学ぶ意味をも明らかにしたいと考えました。

学校で教わったでしょうが、地図で見るとフランスの形は六角形に整っていて美しく、東のライン川、東南のアルプス山脈、南の地中海、南西のピレネー山脈、西の大西洋と国境を形成する地理的条件も整っている。ただ一つ北東には自然国境が無く、このためいつもここからドイツ軍が侵入してくる「不吉な方角」であるのが残念だ。
これは本当でしょうか?違います。
元来のフランス、ナポレオンのフランスはラインラントや北イタリアを含むもっと広い国であり、当然六角形でもありません。国の形を決めるのは自然地理ではなく政治なのです。今のフランスの形である六角形はワーテルロー敗戦の結果に過ぎません。
さらにフランスは同一人種国家でも部族集合体でもありません。フランスは政治により作られた国です。元々住んでいたガリア人、侵入してきたローマ人、ゲルマン諸部族、移民としてやってきたイタリア人やスペイン・ポルトガル人、ポーランド人、ユダヤ人などなどが混血しました。諸民族諸部族をつなぐ絆は遺伝子ではなく政治なのです。ここでいう政治とはカトリック教会と教会を保護する国王を指します。フランス国王にはローマ帝国を再建するという任務が課せられていました。国王の取りまとめる国民にもこのローマ帝国復活の使命は分与されており、フランソワ一世のイタリア遠征、ナポレオンの中欧遠征に引き継がれています。

今日の歴史教育の欠陥
歴史がつまらなくなったのは2つの原因によります。一つは科学主義。歴史家は歴史を科学として認知させるために対象を細分化しすぎました。第二はフランスなる対象は存在しないという極端な反民族主義論です。対象の細分化は個人史流行に至ります。反民族主義はフランス史を拒み、世界の中のフランスに焦点を当てるフランス=グローバリスム著作物を大量に生み出しました。いずれもフランス人の視点で歴史を叙述したものではありません。むしろナポレオン戦争を欧州他国民の視点で侵略戦争と捉えたり悪辣なフランス植民地主義を弾劾したりする反省の書であるのが普通です。

歴史を共有するのが同化
フランスは大量の外国人を受け入れていますが以前は外国人の方がフランスに同化しようとしていました。イタリア人もポーランド人もフランスの英雄、栄光のあるいは悲惨の記憶を我がものとすることによりフランス人になったのです。これを同化 assimilation と言います。歴史を共有することが同化の手段でした。歴史書は国民を創り出す民族のロマンなのです。ナポレオンを我が父と感じジャンヌ・ダルクを我が母と感じる国民を作るのが歴史の目的なのです。

翻って現在の学校教育はどうでしょうか。同化やそれより程度の低い統合 intégration でさえ個々の生徒の属する民族文化への侵害とみなされる多文化主義が横行しています。
偉大な歴史家だったルネ・グロセールの父親はドイツ人で欧州大戦には軍医として従軍しています。戦後フランスに帰化し、その後数年経ってからの何かの講演会で大戦時のフランス軍のことを「我が軍」と呼んだとルネ・グロセールは書いています。完全に同化していたのです。

歴史観の戦いとその一例
政治的争いが起こる前に霊視観の戦いがおこるのがフランスの特徴です。18世紀にはドイツ派 gérmaniste とローマ派 romaniste の争いがありました。20世紀には共産派と自由派の論争がありました。
フランス貴族階級は自己をゲルマンのフランク族出身の少数派と認識しており多数派平民であるガリア人を支配している根拠をここに見出していました。第三身分の知識人や平民ブルジョワ階級は自分たちをガリアローマ人の末裔と意識しており、貴族と対抗するために王権と結びつきました。国王と平民が協力して貴族を抑え込んできたのがフランスの特徴であり、このむすびつきの無かったのがポーランドでした。国は分裂して外国勢力と個々にむすびついた貴族に乗っ取られてしまう。これをポーランド化 polonisation と呼びフランス王権の最も恐れたところでした。
そこでドイツ文化とフランス文化の比較優劣論争が政治的意味合いを帯び、貴族のゲルマン派支持、ブルジョワのローマ派支持に二分されたのです。これが革命前の文学政治の論争点でした。
現在の我々は多数の歴史観に取り囲まれていますが、大まかに言えば2つ、グローバリスムと民族性重視の二傾向です。国民のための歴史ロマンとして、この『フランスの宿命』を使って下さい。

 

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